大学生にまつわるこんな話を聞いた。ある大学の理系研究室での話。
「教授は、学生の問題解決力を伸ばしてやりたいと思い、何とか時間を工面して、一年間かけてロボットをつくるという学生たちに考えさせるカリキュラムを進めた。しかし当の学生は、“研究室でロボットを作らされてる。もっと専門的な知識を教えてもらいたいのに” と不満MAXだった」
結果として、教授はなぜそれが大事なのか説いてようやくわかってもらえたとのこと。
そして、最近の新入社員の傾向の1つとして “言われたことはやるが、言われないことはやれない。”
要するに、なぜこれが大切なのか、これをしなくてはならないのか、教えてもらわないとわからないのだ。考えるということをしない。
挙句の果てに、教えてくれないあなたが悪い!と思っている。
大学生も新入社員も同じ構図。当たり前と言えば当たり前。いつになったら、それではダメだと気付くのか。
私はそんな子どもたちを否定するつもりはさらさらない。逆に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
このような考える力が乏しい大学生や新社会人に育ててきたのは、我々大人だ。この子たちは約20年生きてきて、身につけるべく身につけたというだけである。
子どものころから、親や先生、周りの大人に優しくされ、いや、過保護にされ、常に先回りしていろんなことを教えてもらい続けてきたことも一因だと考えている。
一例として、
砂場は菌がいっぱい、公園の遊具も落ちたら危険だ、跳び箱も危険、小学校6年生の晴れ舞台の人間ピラミッドも危険、とやめさせてきた。これが石橋を叩いて叩いて叩かないと渡れないような子どもに育てている。もちろん道路への飛び出しなど本当に危険なことは何としてでもやめさせなくてはならない。
しかし、大人が危険を常に判断し続けた結果、子どもは自分自身の判断力、考える力、行動する力を身につける機会を奪い続けてきたのではないか。いつも指示され続けたら、指示されないと行動できなくなるし、考えなくても指示を待てばいいと思うようになるのは当然だ。これでは考える力も育たない。体験から学び、考え、行動する機会を奪っている結末がこのような大学生や新入社員ではないか。これは、ごく少数の子どもの話ではない。
結果的に、その子どもたちは自分で問題を解決する力を育てることができず、社会へ出た時に苦労している。
またそのような子どもたちがいずれ社会を担うのである。
子どものことを考えれば考えるほど、手を差し伸べたくなる。その気持ちは痛いほどよくわかる。
しかし、だからこそ、子どもの将来を見据えて、大人は行動すべきではないか。
大人がすべきことは、子どもの問題解決力をあげるようなサポートであり、
どのようにしたら子どもの思考力、判断力、行動力が身につけられるのか大人が考え行動すること、だと。
大人も周りの情報に流されず自分で考え行動すべきであることを再確認すべき時だと思う。