半年ほど前のあるクライアントさんとの面談の話です。
「菅生さん、最近少し困っていることがあるんです。社員に仕事を任せたいのに、つい口を出してしまう。本当は口を出したくないのですが。彼らがもう少し成長してくれれば…」
20年以上中小企業のコンサルティングに携わってきて、この悩みは最も頻繁に耳にするものの一つです。
「私にしかできない」の落とし穴
私が出会う中小企業の経営者の多くは、自分でゼロから創業した方もいらっしゃれば、先代が築いてきた会社を更にステージアップさせ育て上げてきた方や々です。
いずれにしても、自らの判断で幾多の危機を乗り越えて、会社を成長させてこられた方です。その大変さは想像に難くありません。
そんな経営者にとって「部下の判断が自分と違う」ことへの不安は計り知れないことでしょう。
特に中小企業では、一つの判断ミスが会社の存続を左右することもあるのですから。
創業40年を超えた製造業のA社の社長。新規大型設備投資の件で部長に決裁を任せました。しかし最終段階で「やっぱり心配で」と介入。
結果、決裁は2週間遅れ、商談にも影響が出ました。
社長は自責の念に駆られていましたが、部長も「自分の判断に自信が持ちきれず、社長に大丈夫です、と強く言えませんでした」と肩を落としていました。
「覚悟のギャップ」を理解する
私がA社の社長と部長に最初に伝えたのは「覚悟のギャップ」という概念です。
経営者であるあなたには、会社の未来をこうしたい!という強い思いと責任感があります。
赤字が出ようが、クレームが来ようが、最終的には全て自分が背負うという覚悟があるからこそ、決断できるのです。
一方、部長や課長、一般社員の立場では、その責任範囲は限定的です。
役職が下がるほど、自らの判断で会社の命運を左右するという意識は薄れていきます。もちろん、本人たちはいつも真剣ですので、責任を持ちたくないとか、責任逃れがしたいなどと微塵も思っていません。
しかし、役職という会社の構造がそうさせているのです。
つまり、あなたと部下の間には、本質的な「覚悟のギャップ」が存在するのです。
このギャップを埋めない限り、「任せる・任される」の関係は成立しません。
判断基準の「見える化」が鍵
では、このギャップをどう埋めるか。
答えは「部下に決断を迫る」ことではありません。
むしろ、あなたが何を見て、どう判断しているのか、その基準を共有することです。
別のB社では、毎週の部門会議で社長が必ず「なぜその判断をしたのか」を語るように常日頃からお願いしていたところ、社長は必ず実践してくださり、部長からこんな言葉を聞けるようになりました。
「この案件を断ったのは、短期的には利益が出そうだけど、うちの会社は必ずしもこの領域に大きな強みがあるわけではない。うちの5年後の姿を考えると、今は既存の案件に集中すべき時期だと思いました」
社長は常に長期的目線で物事を考えていらっしゃるのですが、部長も長期的に考えられるようになっていました。
こうした思考プロセスの共有が、部下の判断力を磨くのです。
判断基準を共有する方法
具体的には以下の点を意識的に言語化してみてください。
・この仕事の真の目的は何か
・ビジョンとの関連性
・あなたが譲れないと考える価値観
・過去の経験から学んだ教訓
・直感的に感じた違和感の正体
B社の社長は「最初は面倒だったが、今では部下から『社長ならこう判断するだろう』と先回りした提案が上がってくるようになった」と嬉しそうに話をしてくださいます。
時間をかけて育てる「信頼のサイクル」
「任せる」と「育てる」は、鶏と卵の関係に似ています。
任せなければ育たず、育たなければ任せられません。
この矛盾を解決するのが「信頼のサイクル」です。
あなたが部下を信頼して少しずつ任せる。
部下はその信頼に応えようと成長する。
その成長を見たあなたはさらに信頼を深める…。
この好循環を生み出すには、任せるスキルやステップも必要ですが、マインドセットとしては、焦らず、しかし諦めず、時間をかける覚悟が必要です。
任せられない問題は、やり方がわからないというスキル的な課題ではなく、マインドに課題があることが大半です。
冒頭でご紹介したクライアントが先日、こう語ってくれました。
「最初は不安でしたが、部下に任せる時間ができて、自分は5年後の構想に集中できる時間が格段に増えました。何より、社員の目の輝きが変わったんですよ」
粘り強さが必要ですが、そんなに難しい事ではありません。
小さな努力の積み重ねで手に入れられる会社の未来を変えられる時間の確保です。
あなたも、この変化を起こしてみてくださいね。
部下を信じる勇気が、あなたと会社の可能性を広げる第一歩になるはずです。
そして、あなたが変わることで必ず、部長が管理職に、管理職が係長に仕事を任せられるようになります。
文:菅生としこ

菅生としこプロフィール
トヨタ自動車出身。組織づくり、人づくりのど真ん中で働いた原体験からはたらくを面白がる達人。
“トヨタの問題解決”を整理体系化し、広く展開。問題解決できる人材開発を行った立役者。
事業の問題解決、人が関わる問題解決、変化成長し続ける組織づくりのための問題解決サポートを得意とする。
問題なくして成長なし!問題があるからオモシロイ!